もう10年、まだ10年…様々だと思います。自分は10年経ったのか~とどっちつかづな感想です。何度か書いていますが、この2日後にタイ・バングラデシュへ旅立ちました。この震災が雨水発電への契機になった事だけは間違いありません。先に進むためにも振り返りは続きます…
2011年3月11日
普段通り現場で仕事をしていました。駐車場へ材料を取りに行った時に突然、近くの家々の雨戸・網戸などがバタバタし始めました。すると駐車場に止めてあったトラックが横転しそうなくらい揺れています。
2日後にはタイ・バングラデシュへ行かなければならなかったので、とにかくこの現場を仕上げなければならず作業に戻りました。すると度重なる余震…足場の作業もあり、倒れるんじゃないかというほど揺れ、徐々に恐怖を感じてきました。
仕事は何とか仕上げたのですが、2日後に行けるのか?こんな時に行って良いのか?テレビで見る東北の惨状を目の当たりにして、心が大きく揺さぶられました。
3月13日
悶々としながら出発準備と多少の家の片づけを済ませ、行く事に決めました。家族の後押しが最後は背中を押してくれました。人の為になる事をやってくるんでしょ、胸を張って行けると思わせてくれました。
タイに着き、現地の視察を行いましたが行く先々で心配され、哀悼の意を表してもらいました。これはタイ・バングラデシュ共で人々の温かさが心に滲みました。タイの寺院にも行けたので、とにかくこれ以上の被害が出ない様祈りました。
バングラデシュでもみんなで哀悼の意をささげようと皆口々に言って頂きました。バングラデシュでの活動はまとめてありますので是非ご覧下さい。
2週間後、帰ってきてからの方が驚きました。ニュースは向こうでも震災のニュースばかり流れていたので、ある程度は分かっていたのですが、まず空港からの帰り、エスカレーターが動いていない…スーツケース持ちには結構堪えました。更に電車内の暖房がきいていない…
でもその時の日本よりは普通に生活出来ていました。何が豊かさなのか、先進国とは?等色んな事も考えました。そこでライフライン依存の危うさを知り、雨水活用・雨水発電を要とするライフポイントへの移行を実現しようと決意するに至ります。
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